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| カウラ事件とは? |
1.事件概要 |
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1944年8月5日、カウラ捕虜収容所に収容されていた日本兵1104名が集団で脱走。この事件により日本兵捕虜231名が死亡、負傷者は108名にのぼった。オーストラリア軍の死者は4名でした。
■事件前夜
太平洋戦争末期、日本軍のたび重なる負け戦で日本兵の捕虜は日に日に増えていました。オーストラリアに収容されていた日本兵捕虜の数は、1942年末にわずか10名だったものが1944年7月になると1415名にまで増加します。このような状況下でカウラ捕虜収容所も定員オーバーとなり、収容者の一部をカウラより奥地のヘイ収容所に移送することを決定しました。
このとき移送のの基準となったのが兵か下士官かの違いでした。それまでは兵も下士官も同じ屋根の下で収容生活を送っていましたが、この決定により兵と下士官が分離されることになり、ここに日本人収容者の大いなる不満が生まれました。このことが脱走事件の直接原因の一つであると言われています。
■事件当日(カウラ事件生存者立花誠一郎氏の証言より)
8月5日の夜2時頃、突然ラッパが鳴った。日本軍の突撃ラッパだった。何が起こったのかと天幕を出てみると、日本人捕虜が一斉に走って出てきた。「ダッダッダ」という重機関銃による射撃の中、その人々は有刺鉄線の柵に毛布をかけ、手には野球のグローブをはめて柵を越えようとしていた。
脱走する日本人に武器らしい武器はなく、釘を打ち付けた野球のバットや、食事に使うナイフなどを手にもって走っていった。銃撃が完全に止んだのは朝10時頃だった。オーストラリア軍はよく弾丸があるものだと思った。
■事件後
柵を越えて収容所外へ脱走した日本人もいましたが、翌朝までに全員が捕まりました。
死者は全員身元の確認を行い、一箇所に埋葬しました。死者の死因は下表のとおりです。
| 死因 |
人数 |
| 銃撃を受けて(収容所内) |
142 |
| 銃撃を受けて(収容所外側の柵) |
44 |
| 収容所内小屋での自殺 |
20 |
| 収容所周辺での自殺 |
25 |
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