130周年

2016年(平成28年)学園は創立130周年を迎えました。

山陽学園の沿革を6つの時代に分けて紹介します。


学園の草創期
[ 1886年〜1907年 ]

1886年(明治19年) 岡山市中山下に山陽英和女学校開校、設置者石黒涵一郎
1888年(明治21年) 岡山市徳吉町に新校舎、講堂、寄宿舎が落成
1890年(明治23年) 生徒数減少と校舎建築費の負債で財政難深刻
1892年(明治25年) 山陽女学校と改称し良妻賢母主義教育へ転換
1894年(明治27年) 再び財政危機に陥り、募金、生徒募集に奔走
1897年(明治30年) 県立移管の声もあったが、学校委員会、評議員会は私学として維持することを確認
生徒も封筒貼りなどで学校財政に協力しようと愛校会を結成
1898年(明治31年) 山陽高等女学校と改称
中川横太郎が学校資金募集に尽力
1899年(明治32年) 岡山県から初めて補助金を受ける
1904年(明治37年) 財団法人となる
日本組合岡山基督教会の宣教師たち

女子教育の黎明期、1886年(明治19年)、日本組合岡山基督教会に集う人々の熱意と献身により、山陽英和女学校が創立されました。この写真は日本組合岡山基督教会の宣教師たち。
後列右端は創立功労者のオーティス・ケーリ宣教師。その右下は同夫人のアイリーン・マリア・ケーリで、開校当時嘱託教師として英語を教えるなど大きな貢献をしました。
1879年頃日本組合岡山教会の宣教師たち
1888年(明治21年)落成の新校舎

創立の翌々年岡山市徳吉町の新校地に落成した校舎。2階が講堂で1階に4教室と教員室があり、当時はめずらしい洋館風の建築で、岡山名物の一つとなりました。1945年(昭和20年)に戦災で焼失するまで本館として使用されていました。

1888年
石黒 涵一郎

岡山教会の信徒で弁護士の石黒は、岡山の代表的民権家として条約改正問題等で東奔西走のかたわら山陽英和女学校の設立に力を注ぎ、学校委員を代表して設置者となりました。
石黒涵一郎
中川 横太郎

明治期岡山屈指の啓蒙家。岡山城堀端に彼を顕彰する「健忘斎中川横太郎君之碑」があります。奇行で知られる中川横太郎は1899年(明治32年)11月、岡山市の国清寺で「生葬礼」を行い、多数の市民が参列しました。
中川横太郎
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岡山の名門女子校として
[ 1908年〜1944年 ]

1908年(明治41年) 上代淑校長就任
1924年(大正13年) 制服を洋服とする
1926年(大正15年) 上代淑校長がマウントホリヨーク大学から教育への功労著しいとして、ファイ・ベター・カパー章を受ける
1927年(昭和2年) 家政専攻科を設置
1934年(昭和9年) 紺色ワンピースの冬制服を制定
日本女子オリンピック庭球大会少女の部で、本校運動部初の全国優勝
1935年(昭和10年) 第1回優勝旗祭開催
1936年(昭和11年) 創立50周年記念式
長島愛生園に山陽高女寮を寄贈
1938年(昭和13年) 山陽高等女学校管弦楽団を組織
1939年(昭和14年) 出征軍人農家への勤労奉仕開始
1944年(昭和19年) 鐘淵岡山絹糸工場等への通年動員が始まる
創立50周年式典で式辞を述べる上代淑校長

1936年(昭和11年)10月、学園は創立50周年を迎えました。記念事業の一つとして、長島愛生園に山陽高女寮を寄贈しました。
1936年創立50周年
長島愛生園に山陽高女寮を寄贈の際の落成式

落成式には上代淑校長を始め生徒、職員、同窓の有志170人が列席しました。式後は生徒有志の演芸で患者を慰問しました。
この時依頼、山陽学園と長島愛生園とのつながりは70年以上たった現在まで続いています。現在では山陽女子高校放送部を中心として、定期的に訪問活動を行っています。
1936年長島愛生園
紺色ワンピースの制服を制定

1934年(昭和9年)、紺色のセーラー服が制定されました。デザインは山陽高女の教員であった立岩孝代。このデザインの制服はその後、70年以上も変わらずに愛されました。
1934年紺色ワンピースの制服
初の全国優勝に輝く軟式庭球部

1934年(昭和9年)、日本女子オリンピック庭球大会少女の部で優勝して庭球山陽の全盛時代を切り開き、翌年も同大会連続優勝。1936年(昭和11年)から全国女子中等学校庭球大会で3連覇、1937年(昭和12年)には全日本女子中等学校庭球選手権大会でも優勝しました。
1934年軟式庭球部
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戦災からの復興
[ 1945年〜1964年 ]

1945年(昭和20年) 米軍の空襲により学校全焼
鐘淵岡山絹糸工場寄宿舎を仮校舎として授業再開
倉敷絹織酒津工場寄宿舎を校舎に倉敷分校開校
1946年(昭和21年) 生徒による復興資金募集芸能会の巡業始まる
復興会議において赤沢乾一理事長、岡山市での復興を決断、実行委員を選出して校地買収折衝、復興資金募集に入る
1947年(昭和22年) 岡山市門田屋敷の現校地を買収
学制改革により山陽高等女学校に併設中学校を設置
現校地に校舎(第1期工事)落成、本校を移転
1948年(昭和23年) 山陽女子高等学校を設置 併設中学校を山陽女子中学校と改称
財団法人を山陽学園と改称
倉敷分校を廃止し本校と統合
1949年(昭和24年) 校友会を改組し、みさを会発足 第2期校舎落成
1950年(昭和25年) 山陽女子洋裁学校を設置(1953年廃止)
1951年(昭和26年) 学校法人山陽学園発足 初代理事長に赤沢乾一就任
赤沢理事長が高齢のため辞任、星島義兵衛理事が理事長に就任
1952年(昭和27年) 講堂兼体育館(淑徳館)落成
1955年(昭和30年) バドミントン部、全日本選手権で単・複に優勝、全国高校大会及び国体でも初優勝
軟式庭球部、全日本高校選手権大会で優勝
1957年(昭和32年) 創立70周年記念図書館、視聴覚教室落成(現在の第2南館)
1958年(昭和33年) 上代淑校長、岡山市名誉市民に推戴される
1959年(昭和34年) 初の鉄筋建築としての西校舎落成
上代淑校長逝去 岡山市・山陽学園合同葬
1960年(昭和35年) 星島義兵衛理事長が校長を兼任
大橋広日本女子大前学長が校長顧問に就任
硬式庭球部、全国高校選手権大会で初優勝
1961年(昭和36年) 火災により中央校舎焼失
硬式庭球部、全国高校選手権大会で前年に続き優勝
鉄筋4階建ての本館落成
1962年(昭和37年) 体操部、全国高校選手権大会に初優勝 岡山国体でも優勝
1964年(昭和39年) 水泳の木原光知子選手、オリンピック東京大会に出場
操山山頂の生徒たち 1946年(昭和21年)

1945年(昭和20年)6月の岡山空襲で山陽高女もすべて焼失しました。上代淑校長は焼け跡に集まった生徒たちを「灰の中から立ち上がりましょう」と励まし、自ら復興の先頭に立ちました。
写真は戦後1年、生徒たちの服装はモンペ姿ですが、少女たちの笑顔は生命の喜びと希望にあふれていました。
1946年操山山頂
淑徳館の落成 1951年(昭和26年)

1951年(昭和26年)末に完成した講堂兼体育館は、当時岡山市における戦後最大の建物で、翌年10月には岡山市主催で池田隆政・厚子御夫妻の御成婚祝賀会が開かれました。
1952年完成した淑徳館
上代淑校長の逝去 1959年(昭和34年)

1958年(昭和33年)、米寿を迎えた上代淑校長は第1回の岡山市名誉市民の称号を贈られました。しかし、翌年11月、老齢と病気のためついに倒れ、同月29日、安らかに昇天しました。「ありがとうございます」が最後の言葉でした。70年にわたって山陽学園にすべてを捧げた献身と情熱の生涯でした。12月5日、岡山市と山陽学園の合同葬が営まれ、3,000人の参列者は深い悲しみのうちに先生を送りました。
1958年合同葬儀
体操部初の全国制覇 1962年(昭和37年)

体操部は創設10年目のこの年、高知での全国高校選手権大会で団体と個人総合などで初制覇、同年秋の岡山国体でも優勝しました。
1962年全国優勝の体操部
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女子総合学園への発展
[ 1965年〜1996年 ]

1965年(昭和40年) 上代晧三校長就任
1966年(昭和41年) 高校に音楽科を設置
創立80周年記念東館、中央館落成
水泳の木原光知子選手、全日本選手権とアジア大会優勝
短大設立準備委員会設置 委員長に岡﨑林平岡山瓦斯社長(学園理事)
1968年(昭和43年) 川上亀義専務理事就任、短大設立準備事務を担当
硬式庭球部が全国高校選手権大会で団体戦と個人戦シングルスに優勝
岡﨑林平理事長就任
1969年(昭和44年) 山陽学園短期大学(家政科)開学 上代晧三学長就任(中学・高校校長と兼任)
山陽学園短期大学協助会発足 初代会長に松田基両備バス社長
放送部、NHK杯全国高校放送コンテストで文部大臣賞受賞
1970年(昭和45年) 短大家政科を家政学科家政学専攻と家政学科食物栄養学専攻に分離
1971年(昭和46年) 短大に専攻科家政学専攻を設置
卓球部、全国高校卓球選手権大会、個人戦ダブルスで優勝
1972年(昭和47年) 短大に幼児教育学科および専攻科食物栄養学専攻を設置
創立85周年記念体育館落成
1974年(昭和49年) 鉄筋3階建ての南館落成
短大に附属幼稚園を開設
短大創立5周年並びに短大附属幼稚園開園式挙行
1975年(昭和50年) 短大に専攻科幼児教育学専攻設置
1976年(昭和51年) 短大に図書館完成
高校錬成会発足
学園創立90周年記念式
1977年(昭和52年) 硬式庭球部、全国中学生大会で優勝
放送部、全国高校放送コンクールで第1等
体操部、青森国体で団体総合優勝
1978年(昭和53年) 鉄筋3階建ての寄宿舎完成 全建物の不燃化達成
高校普通科に国公立大学志望者向けの2コースを設置
放送部、NHK杯全国高校放送コンテストで文部大臣賞受賞
短大創立10周年短大附属幼稚園創立5周年記念式挙行
硬式庭球部、アジアジュニア選手権ダブルスに優勝
1979年(昭和54年) 中学・高校、杉本勝校長就任
硬式庭球部、宮崎国体で優勝
書道部、全国学生比叡山競書大会で伝教大師賞受賞
体操部、全国中学生大会跳馬で優勝
1981年(昭和56年) 巽盛三理事長就任
1982年(昭和57年) 高校普通科に有名私立大学志望者向けの3コースを設置
1983年(昭和58年) 河本泰輔校長就任
硬式庭球部、全国中学校テニス選手権ダブルスで優勝
短大附属幼稚園10周年記念式挙行
1984年(昭和59年) 上代晧三学長・学園長逝去 高山峻学長代行に就任
1985年(昭和60年) 福田稔短期大学学長就任
硬式庭球部、全日本ジュニアテニス選手権16歳ダブルスで優勝
短大家政学科の佐藤薫が全日本学生弓道選手権で個人戦優勝
1986年(昭和61年) 学園創立100周年記念式典及び祝賀会を挙行
上代淑記念館竣工
『山陽学園百年史』刊行
1987年(昭和62年) 茶道教育を高校全学年に拡大して実施
1988年(昭和63年) 短大に国際教養学科を設置
短大がデアンザ・カレッジと姉妹大学協定を締結
硬式庭球部、全日本ジュニアテニス選手権16歳シングルスで優勝
卓球部、全国中学校選抜卓球大会で団体と個人シングルスに優勝
1989年(平成元年) 短大に学生会館が完成
卓球部、全日本卓球選手権カデット女子ダブルスで優勝
短大創立20周年短大附属幼稚園15周年記念式挙行
1990年(平成2年) 川上亀義理事長就任
上代淑人学園長就任
1991年(平成3年) 短大家政学科食物栄養学専攻を食物栄養学科に改組、家政学科を生活学科に名称変更し、生活学科に生活学専攻・生活造形専攻の2専攻を置く
短大に専攻科国際教養学専攻を設置
中学・高校の制服に合服を導入、夏服を改定
1992年(平成4年) 西本達二校長就任
1993年(平成5年) 高校普通科に国際文化コースを設置
1994年(平成6年) 山陽学園大学(国際文化学部)を開学 福田稔短期大学学長が大学学長を兼任
放送部、NHK杯全国高校放送コンテストで文部大臣賞
南オーストラリア州アデレードのセント・ピーターズ女学院と姉妹校提携成立
短大附属幼稚園創立20周年記念式挙行
1995年(平成7年) 短大専攻科食物栄養学専攻が学位授与機構認定専攻科となる
110周年記念図書館兼体育館アリーナ竣工、淑徳館と命名
1996年(平成8年) 短大専攻科家政学専攻を生活学・生活造形専攻に名称変更
ブラックフォード大学と姉妹大学協定を締結
大学に110周年記念館が竣工
学園創立110周年記念式典及び祝賀会を開催
山陽学園短期大学の開学式 1969年(昭和44年)

1965年(昭和40年)、上代晧三校長が就任すると、かねてから懸案事項であった短大設立計画が具体化しました。1969年(昭和44年)4月、新入学生188人を迎えて第1回入学式が挙行されました。
1969年山陽学園短期大学の開学式
創立100周年記念式典 1986年(昭和60年)

祝辞を述べる梶谷歌子山陽学園同窓会長。なお、この式典の式辞において巽盛三理事長は、先人たちの労苦と業績に感謝すると共に、「愛と奉仕」の教育理念を堅持しながら、地域社会に根ざし、国際化に向かって門戸を開いた活気ある学園をつくりあげてゆく決意を述べました。
1986年 創立100周年
山陽学園大学開学記念式 1994年(平成6年)

学園にとって念願の4年制大学、山陽学園大学が開学しました。初代学長には福田稔短期大学長が兼任で就任しました。4月2日、国際文化学部コミュニケーション学科86人、比較文化学科92人の新入生を迎えて入学宣誓式が行われ、6月4日には開学式が挙行されました。
1994年山陽学園大学開学記念式
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国際化・情報化の時代への対応
[ 1997年〜2006年 ]

1997年(平成9年) 守分勉理事長就任
馬場克彦校長就任
1998年(平成10年) テニス部、全国中学校テニス大会ダブルスに優勝
ワイカト大学、モントレー大学院大学、ケント大学と姉妹大学協定締結
1999年(平成11年) マウント・ホリヨーク・カレッジと姉妹大学協定締結
秋山和夫学長就任
福田稔理事長就任
短大附属幼稚園創立25周年記念式挙行
短大創立30周年記念式挙行
2000年(平成12年) 中学高校、文部省から「読書活動優秀実績校」の表彰受ける
卓球部、全国中学校選抜卓球大会で団体優勝
2001年(平成13年) 短大専攻科幼児教育学専攻が大学評価・学位授与機構の認定専攻科となる
大黒トシ子学長就任
高校普通科を特別進学コース、総合進学コース、国際文化コースに再編成
高校音楽科に器楽専攻と音楽専攻を新設
2002年(平成14年) 体操部、全国中学校総体、跳馬で優勝
2003年(平成15年) 大学国際文化学部をコミュニケーション学部に名称変更
短大生活デザイン学科をキャリアデザイン学科に名称変更
海本博允校長就任
梶谷陽一理事長就任
体操部、全国中学総体、跳馬で2年連続優勝
短大附属幼稚園創立30周年記念式挙行
2004年(平成16年) 卓球部が全国中学校選抜卓球大会で団体優勝
体操部が全国中学校総体、ゆかで優勝
2005年(平成17年) 短大人間文化学科を廃止
高校国際文化コ-スをアクティブイングリッシュコースと改称
体操部が中学校総体、ゆかで2年連続優勝
短大専攻科生活学・生活造形専攻及び食物栄養学専攻を廃止
2006年(平成18年) 高校音楽科にピアノ演奏家専攻を新設
大杉猛校長就任
学園創立120周年記念式典及び祝賀会を開催
アクティブイングリッシュコース 2005年(平成17年)

高校普通科国際文化コースが「使える英語、話せる英語」という活きた英語力を磨くアクティブイングリッシュコースに改称されました。日本を代表する名所、後楽園を外国人観光客を英語で案内する「後楽園英語ガイド」は高い評価を受けています。
2005年アクティブイングリッシュコース
パソコンを使った教育の充実

中学から大学まで実生活の中でパソコンを使いこなせるスキルを身につける授業を行っています。中でも高校では検定試験を積極的に受ける生徒が増加してきています。
パソコンを使った教育の充実
創立120周年記念フォーラムでの木原光知子さん
2006年(平成18年)、山陽学園は創立120周年を迎えました。11月11日には岡山シンフォニーホールで記念フォーラムが行われ、東京オリンピック等の水泳で活躍した木原光知子さんなどの講演が行われました。
2006年創立120周年記念式典
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新たなる飛翔
[ 2007年〜 ]

2007年(平成19年) 赤木忠厚学長就任
2008年(平成20年) 梶谷陽一校長就任(理事長兼務)
高校音楽科にミュージカルコース新設
体操部が全国高校総体で団体総合優勝
熊城逸子校長就任(8月)
短大附属幼稚園創立35周年記念式を挙行
大学コミュニケーション学部募集停止
短大のキャリアデザイン学科を募集停止
2009年(平成21年) 大学の看護学部校舎(G棟)竣工(3月)
大学に看護学部看護学科を開設
大学に総合人間学部生活心理学科・言語文化学科を開設
大学・短大が男女共学になる
中学・高校制服改定
中学を特別進学コース、総合コースに再編成
高校にスーパー特別進学コースを設置
2011年(平成23年) 高校音楽科を募集停止 普通科にMusicコース新設
渡邊雅浩理事長就任
上代淑人学園長逝去(6月)
大学の看護研修センターで認定看護師教育を開始(平成23〜27年)
2012年(平成24年) 山陽学園中期計画発表(平成24~28年)
高校普通科特別進学コース、アクティブイングリッシュコース募集停止
エクセルコース設置
中学総合コースにエクセルスタイルとスタンダードスタイルを導入
2013年(平成25年) 實成文彦学長就任
大学院看護学研究科設置
短大附属幼稚園創立40周年記念式を挙行
2014年(平成26年) 中学高校の新校舎竣工(8月)
中学に6年制一貫教育を導入
2015年(平成27年) 中学高校の新校舎落成式(1月)
塩山啓子校長就任
短大附属幼稚園満3歳児の受け入れ開始
大学・短大に広報・山陽スピリット推進室を設置
2016年(平成28年) 大学看護学部に助産学専攻科設置
齊藤育子学長就任
大学に看護学部を新設

看護学部が、すべての人に質の高い看護が提供できる看護職者の育成をめざすために2009年4月開設されました。
大学に看護学部を新設
中学・高校で制服改定

山陽女子中学校・高等学校の制服が全面改定されました。特に冬服は従来のワンピースタイプから70年ぶりの変更となっています。
制服改定
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